「近代という病い」と『苦海浄土』

4月11日、石牟礼道子氏インタビュー「近代という病いをみつめて─『苦海浄土』の「世界文学全集」(河出書房新社)収録を機に─」(『週間読書人』2011年2月25日)読。

ちょうど一年前(4月2x日〜2x日)、ある財団の企画による水俣をフィールドとする地元学の現地学習会に参加した*1水俣市水俣病資料館では、冊子『知らないのは罪 知ったかぶりはもっと罪 嘘を言うのは、もっともっと罪 ─ 杉本家の水俣病50年 ─ 』を求める。これは吉本哲郎さんが編集したものであるが、水俣へ行く以前・以後、杉本栄子さんに惹かれ続けている。だが、その先へは……せつな過ぎて近づけない。
水俣病が肥料工場の排水が原因であることが1956年に熊本大学医学部の研究班によってつきとめられている。59年には有機水銀化合物による病理も解明され、同年には厚生省の水俣病食中毒部会が原因を把握し答申も行なっていた。にも拘わらず、当時、通産大臣の池田隼人がこの答申を「早計」とする発言をする。翌60年に池田内閣が発足し、「所得倍増計画」が謳われた。この「留保」は、たんなる個別大企業への監督官庁の保護とてこ入れといった以上の政治的意思がはたらいていたわけである。そして答申から9年後の1968年、電気化学から石油化学への転換の中で、旧式の製造工程が最終的に「用済み」となってから、公害の原因を正式に認める「政府見解」が発表される(『現代社会の理論』pp.54-61参照)。
原発とはなにか、現在、福島原発で起こっている事態がなんなのか、国策として推し進めてきたチッソと同類の問題が、さらに大きな問題(こちらもある種、TSUNAMI)として押し寄せているということなのであろう。すると、下記の、杉本栄子さんが原罪として背負った病いとはなんであったのだろうか*2

石牟礼道子氏インタビュー「近代という病いをみつめて」(『週間読書人』2011年2月25日)より(下記、引用箇所は2面);

……(略)……
[石牟礼] 変わってないですね。水俣の私の家で「不知火海百年の会」という集まりを20年ばかり続けてきたのですけれども、その中心メンバーに杉本栄子さんご夫妻がおられます。栄子さんは亡くなられましたけれど、亡くなる一月程前に「道子さん、私はもうあんまりきつかけん、許すことにした」って言われたんです。「今まで仇討ちせんばと思うて生きてきたばってん、もうきつか。チッソを許すことにした。考えてみると、知らんちゅうことは罪ばいなあ」とおっしゃいました。この言葉はいわゆる哲学書を読んでおっしゃったわけではありません。水俣病を病んでこられて、近所隣から魚が売れんごとなった、どうしてくれるかと言われ、深夜になると、家の周りを大勢でぐるぐると取り囲む足音がして、「月夜ばかりじゃなかっぞ、闇夜もあったぞ」という声がしばしば聞こえたそうです。とっても恐ろしかったって。まあ近所の人たちもチッソも行政も患者さんの一日一日というのがどういう苛酷なものか、知らないわけでしょ。四代にもわたって発病して、一軒の家で六人、七人という家はざらなんです。そうした日常生活を知ろうともしない人びとが圧倒的にたくさんいる。人間というものは原罪を背負っているとは、哲学上の常識でしょうが、現代に入ってから、人間とは何かという苛酷な命題が出て来ました。それで栄子さんはその罪を全部許すと。そうしてみんなの罪に代わって水俣病を病み直すことにした。水俣病を守護神にして全部引きとって私どもが病みますとおっしゃいました。そういうお言葉と命を平気で値切って特措法などというまやかしの法律を作り、今度はチッソが分社化をするという。誰が考えても逃げ出すためとしか思えないそんな法律用語とはあまりにも質が違います。みんなの罪を全部自分が引き受けたという患者さんの言葉と、商売上の取引ぐらいにしか思わず、どうやって切り捨てていくかということに腐心している考えとの落差を私は思います。今の世の中は命なんて考えないでしょう。これで環境立国と言えるのでしょうか。
……(略)……



ビデオメッセージ
石牟礼道子苦海浄土』刊行に寄せて
http://www.youtube.com/watch?v=n7VB2U4kA1M

苦海浄土 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

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自然と人生 (岩波文庫)

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現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書)

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*1:。地元学の提唱者・吉本哲郎さん、GNHの研究者・草郷孝好さん、杉本栄子さんのご長男の肇さん、前水俣市長の吉井正澄さん、……に言及しないではいられないのだが、そこは押し殺すことにしよう。宿となったあさひ荘の露天風呂(温泉かけ流し)に未明より一人、湯に浸かっていた。水俣徳富蘇峰徳冨蘆花の生まれたところ。蘆花の『自然と人生』の落日の描写を思い出しながら、日の出を待った。落日は相模灘で、蘆花が兄と和解したのは伊香保温泉であるし、ロケーションが違うのであるが、蘆花を思った。山の端が白み始めるころ、草郷さんと湯船で一緒になる。……

*2: 福島原発津波による被害を受け、大江健三郎が米誌「ニューヨーカー」にて、日本の原子力発電とヒロシマナガサキの原爆被害者との関係性について「歴史は繰り返す」という題で批判文を寄せている。http://www.newyorker.com/talk/2011/03/28/110328ta_talk_oeここでは、原子炉の建造で、同じ人命軽視の過ちを繰り返すことが、ヒロシマの犠牲者たちへの最悪な裏切りであると告発する。‘To repeat the error by exhibiting, through the construction of nuclear reactors, the same disrespect for human life is the worst possible betrayal of the memory of Hiroshima’s victims.’