2010年9月20日 妻と「立原道造記念館」(文京区弥生)を訪れる。
立原道造記念館の休館は、2010年7月14日11時7分の朝日新聞の記事で知る。
詩人・立原道造の記念館休館へ 経営悪化のため
早世の詩人で建築家の立原道造(1914〜39)の詩集特装本などを収蔵する立原道造記念館(東京都文京区)が、経営悪化を理由に休館することになった。9月26日まで開催されている特別展「立原道造が遺(のこ)したものたち 愛蔵品を中心として」の終了に合わせ休館するという。
同記念館は「道造を顕彰し後世に伝えたい」という道造の弟、故達夫さんの志に賛同した弁護士の故鹿野琢見さんが97年3月に開館した。しかし、鹿野さんが09年10月に亡くなり後ろ盾を失ったことに加え、長引く不況も影響したという。
道造は早くから短詩型文学に目覚め、詩集「萱草(わすれぐさ)に寄す」「曉と夕の詩」などを残した。青春の出会いと別れの喜びや悲しみなどを、清らかで繊細な感覚で表現した。東大建築学科卒業後、建築事務所に勤めながら詩作を続けたが、結核のため24歳で亡くなった。
http://www.asahi.com/culture/update/0714/TKY201007140136.html
高校のときに親しんで読んだ詩人の一人に立原道造がいる。ジッドの『狭き門』をアンコンシャス・ヒポクリットだと思い、キルケゴールのレギーネとの『反復』が実質、湿気って「想起(追憶)」に絡め取られようとしているように見えていたとき、小川和佑の『立原道造・愛の手紙─文学アルバム』(毎日新聞社 1978年5月)を手にした。水戸部アサイへの思いを「反復」として再度、捉えなおせそうに思って繰り返し読んだ(立原はアサイに『狭き門』を読むよう薦めていた)。『立原道造全集』はわたしの田舎では求めても得られず、あれほど欲していた『全集』も高校を卒業し、阪急梅田の「紀伊国屋書店」で見かけたとき、じぶんの情熱とすら再び邂逅することの難しさに驚いた(17歳のときのわたしの日記兼詩手帳は、立原をまねて『十七歳の覚え書』だった)。そのとき、親元を離れた四畳半のわたしの部屋で水戸部アサイへの『手紙』を出してきて読んだ。まだしっくりと読めた(詩集はやはり読めなくなっていた)。その頃、『反復』は、一貫したわたし自身のテーマだった。
上京して東京に出、本駒込に住み、千駄木、白山と移り住んだ。『手紙』を読み、墓地でデートするとはどういうことだろうと思っていたが、上京してからは谷中界隈もよく歩く散策コースとなった。
なにも平成9(1997)年に設立された「立原道造記念館」が閉館するからといって、後発の、短命な「記念館」にことさらに思い入れがあるというわけではない。おそらく、〈あのとき〉、置いてきたものの佇まいが、閉館に追い込まれる「記念館」とダブって立ち上がってきたということなのであろう(ラカンのいう‘小文字のa’か)。
「忘れつくしたことさえ 忘れてしまった」ということもないが、〈あのとき〉、の立ち上がる現在、改めてなす葬送儀礼のようなものとして記念館を訪れた。
購入したオリジナル出版物は以下の3冊;
「立原道造と『四季』の詩人たち」
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没後60年記念特別展
「『優しき歌』の世界 立原道造と水戸部アサイ」
図録(92頁)/割引価格:2300円(2000+送料300)
「立原道造・建築家への志向」
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「立原道造・建築家への志向」については、ファイルメーカーにためているデータの内、1999年7月1日のasahi.comの記事に、「夭折の詩人・立原道造の未発表原稿発見、1日から展示」というのがある。
1939年に24歳で亡くなった詩人、立原道造の未発表原稿が見つかった。1日から東京都文京区の立原道造記念館で展示される。立原は、生前に『萓草(わすれぐさ)に寄す』『暁と夕の詩』という2冊の詩集を刊行し、音楽的な詩で根強い人気がある。だが、もうひとつ、建築家の顔も持っている。
この原稿は、建築家の立場から書かれたものだが、これまで知られているところでは、立原の建築に関する論文は2編しかなく、貴重な発見という。
原稿は、東京帝国大学建築学科で立原と親しかった友人の小場晴夫さん(85)宅の書斎に長年埋もれたままになっていた。昨年秋、小場さんから渡された段ボール箱を整理していた立原記念館の宮本則子研究資料室長が、古びた茶封筒に入っていたのを見つけた。
200字詰め原稿用紙8枚に黒インクで書かれている。「建築衛生学と建築装飾意匠に就ての小さい感想」というタイトルだ。芸術家らしく、新しい建 築デザインが今後、必要な時代になると提案している。
記念館の依頼で原稿を読んだ建築史に詳しい建築家の佐々木宏さん(67)は「光の取り入れ方、壁の厚さなど住まいの環境や機能を研究する建築衛生学は当時は軽く見られていた。立原の先見性の高さに驚く」と話す。鹿野琢見同記念館理事長は「詩と建築は一般的には水と油なのに、立原の中では苦もなく融合しているようだ。そういえば、ミケランジェロも詩を書いていた」と語る。
佐々木さんらによると原稿が書かれたのは、立原の手帳の記述などから推測して東大在学中の36年3月という。二・二六事件の直後で、軍部が急速に台頭してきた時期だ。
原稿の最後のくだりは「今日以降の(ナチス・ドイツの建築デザインである)新古典派建築に於ては、建築衛生学との融合こそ実に興味ある実践問題だと信じます」と、実現は難しいというニュアンスを込めて書いている。「立原が、建築の世界にも時代の波が押し寄せつつあることをやゆしていると読める」と宮本さんは話している。))
また、休館を伝える共同通信の記事;
詩人立原道造の記念館が休館へ 「寂しい」と名残惜しむ声
昭和初期に純粋で鮮烈な詩を数多く残し結核のため24歳で夭逝した詩人立原道造(1914〜39年)。自筆の原稿用紙など資料を集めた記念館(東京文京区)が資金難のため26日の営業を最後に休館となり、ファンが名残を惜しんでいる。
97年に開館したが、赤字続きのまま昨年オーナーが死去。新たなスポンサーも見つからず、運営が行き詰まったという。
道造は、恋愛体験や花や鳥といったロマンチックなものを題材にしながら、孤独と悲哀にあふれた詩をつくった。記念館を10回ほど訪れたという千葉県市川市の会社員佐藤真由美さん(36)は「『夢みたものは ひとつの愛』といった、現実離れしたような詩を読むと青春時代を思い出す。直筆の文字や愛用の机を見られなくなるのは寂しい」と話す。
記念館の資料は1万5千点。長野県上田市で戦没画学生の遺作を展示する「無言館」や「信濃デッサン館」を運営する窪島誠一郎さんに預けられ、展示方法などを今後検討するという。
2010/09/25 17:49 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010092501000567.html
「稀覯本の世界 −書誌 文学資料−」(http://kikoubon.com/)の過去ログのなかには、立原の『全集』には収められていない肉筆資料について言及あり。
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