「〈座談会〉来るべき精神分析のために」(十川幸司・原和之・立木康介、『思想』2010年第6号 pp.8−59)

「〈座談会〉来るべき精神分析のために」は、さまざまなヒントに満ち、線を引きながら面白く読了する。下線の部分を最後まで写しきれないが、以下は、読書中の確認をこめたその作業(アイデア部分は記さず)。

I 歴史篇
〈現状の概観〉
(立木)……ここ二、三〇年のあいだに、精神分析精神分析を取り巻く精神医学や心理臨床の分野で起こった変化や転換を考える大きな出来事として、一九八〇年にDSM−III(『精神疾患の分類と診断の手引き(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)』第III巻)というアメリカ精神医学会の診断マニュアルの改訂版が出されたことが挙げられます。そこでは「ヒステリー」という診断が消え、「神経症」というカテゴリーが解体されてしまった。……精神分析神経症と歩みをともにしてきました。それがアメリカの精神医学で解体されてしまった(p.9上)。
……DSM-IIIで神経症概念が解体されたあと、それに取って代わるかのように、一方では、症状がより局在化された形で現れる摂食障害のようなトラブルが増えてくる。他方、一九八〇年代には特にボーダーライン(境界性人格障害)が大きかったと思いますが、各種の人格障害が目立ってきた。……それは北米に限った現象で、……ECF(Ecole de la Cause freudienne)の分析家たちは、その時期まで、しばしばこういう言い方をしていました。「多重人格障害DSM-IIIを中心とするアメリカの精神医学界が抑圧したヒステリーの回帰だ」と。
……
ところが、一九九〇年代後半になると状況が変わってきて、……それがはっきりとした形で出てきたのが、一九九八年にECFの大きな会合で精神病の問題が扱われた時でした。ジャック=アラン・ミレールが「普通の精神病(psychose ordinaire)」というタームを掲げて、それがまたたくまにEDFの中で広まり、今では普通名詞のように、あるいは診断名のように使われています。

「普通の精神病」について;

(立木)……明らかに神経症ではない構造をもつ主体なのに、はっきりと発症した精神病にも見えない。シュレバーのようなパラノイアや古典的な統合失調症分裂病)のタイプにもあてはまらない緩い形、精神病の状態がいわば「普通に」生きられているように見える主体の問題は、妄想や幻覚といった具体的な病理現象というより、おうおうにして、ある種の社会的不適応、つまり社会の中に場所をもてないという形で現れてきます(p.10上)。
 ……
(立木)フランス全体、ラカン派全体の状況で言うと、ECFが「普通の精神病」という形でポスト神経症時代の臨床の中心に精神病をもってくるのに対して、シャルル・メルマンらのALI(Association Lacanienne International=国際ラカン協会)は「倒錯」という概念を前面に出してきました。……ポスト神経症時代の主体の支配的な構造を精神病と見るか倒錯と見るかによって、フランスの二大ラカン学派の主張が分かれているのは注目に値します(p.10下)。
 ……
(立木)ECFでは、症状の「意味」を読み取る従来のセマンティックな作業から、プラグマティックな作業に、つまり、語用論的とは言いませんが、「症状使用論的」な作業に分析のあり方が変わってきたという認識が今では一般的です。症状の「意味」よりも、症状が現実界あるいは享楽との関係でどういう役割を果たしているかという点、つまり症状の機能が問題になるわけですね(pp.10下−11上)。

精神分析の危機〉
(立木)……「抵抗」、「転移」、そして「子供のセクシュアリティ」ですが、この三つは抑圧と直接にリンクしている。……だから、フロイトが挙げている四つの概念すべてが最終的には抑圧に行きつく。まさに抑圧は精神分析理論の中心だったのです。ところが、どうも今はそうではないように見える。神経症概念が解体されてしまっただけでなく、まるで神経症的な症状形成のメカニズムそのものが成り立たなくなってしまったかのように、神経症が臨床の中心から退いてしまった。これは裏を返せば、抑圧を中心にした心的経済がもはや重きをもたない状況が現れているということです。
 しかし、こうした状況は一九八〇年代に始まったのでしょうか(p. 11下)。……
 ……ということは、実は第一次世界大戦後から、抑圧はもう精神分析の実質的な中心ではなくなっていたのかもしれない。それが一九八〇年代の神経症の解体を受けて、前面に出てきただけなのかもしれません(p.12上)。

(原)……西欧の歴史では、「汝自身を知れ」の命令で代表されるような自己の認識と並んで、自己への配慮が古典古代の時代から重要な役割をもっていて、そうした自己への配慮と哲学の構想が少なくともデカルトまでは密接に結びついた、とフーコーは述べています。しかしデカルトを転回点として……そうした結びつきに大きな変化が生じた。この変化をフーコーは、「霊性」と「哲学」を対立させる形で定義した上で、「霊性」から「哲学」へのシフトとして理解しています。フーコーの言う「霊性」とは、真理に到達するには自己を変容させなくてはいけないという立場でさまざまな実践を行う活動です。これに対して彼は「哲学」を、真理への到達がもっぱら認識を介してなされるとする考え方として規定します。そして、古典古代からデカルトまでは「自己への配慮」と「自己の認識」という二つの軸をもっていた思考の営みが、デカルト以降、認識のほうにシフトした。……
 その上で、フーコーデカルト以降の歴史の中で、特殊な地位をラカンに与えている。つまり、ラカンは主体と真理の問題を分析知の中から立ち上げる形で初めて結びつけた、主体の真理の問題を立てたのはハイデガーラカンだけだ、という強い断言をしているのですが、これは、いったん認識のほうにシフトした哲学が徐々に自己への配慮に回帰するようなファクターを持ち始めた、という流れの中で理解できるように思います(p.14)。

(原)……実際、フロイト自身も、精神分析と哲学はまったく別個のものだと考え……(略)……その区別を際立たせようとしたことがあって、この関係はたいへん慎重に扱われてきました。しかし実際にはディスクールとしての近接という状況が生じてきている。他方で一九世紀以来、宗教的なものを参照しながらみずからのうちに霊性という契機、ある種の自己変容という出来事を射程に収めた哲学の潮流が出てきたとき、哲学の側からも、その流れとの関わりで精神分析を改めて位置づけることが必要になってきているのではないでしょうか(p.15)。

(十川)……。確かに精神分析は教団というか、運動組織という性質をもっていて、その点を無視して精神分析を考えることはできない。
 スピリチュアリティについては最近いろいろな人が論じています。例えばジャン・アルーシュは、フーコーの発言に応答する形で一冊の本を書いています(Jean Allouch, Lapsychanalyse est-elle un exercice spiritual? : reponse a Michel Foucault, EPEL, 2007)。アルーシュによれば、真理に到達するために主体がいかなる変容を経由すべきかということを問題にするかぎりにおいて、精神分析スピリチュアリティと結びついている。しかし、そのスピリチュアリティは宗教的なものとは異なり、むしろ宗教に危機を及ぼし、宗教のセクト的なものに穴を開けるものだとアーシュは強調しています。
 それからクライン派の中では、ネヴィル・シミントンというビオンの影響を受けた分析家が『精神分析スピリチュアリティ』(原著 一九九四年、北村婦美・北村隆人訳、創元社、二〇〇八年)という本を書いていて、はっきりと「精神分析は成熟した自然宗教である」と言っています。こういうことを分析家が言うのはリスクがあるわけですが、彼はあえてそのような言い方をしています。シミントンが言う「宗教」には二つあって、単純な区別ですが、原始宗教的な側面と成熟宗教的な側面です。フロイトが批判したのは救済のような意味合いを込めた原始宗教──この定義はシミントン独自のものですけども──であって、成熟宗教のほうではない。クライン派の文脈に組み入れるなら、この原始宗教的な側面は、宗教的心性がいまだ妄想分裂ポジションにある状態であるのに対し、成熟宗教的側面においてはそれが抑鬱ポジションに達していることを意味しています。精神分析の営みも、抑鬱ポジションをワークスルーすることによって、成熟宗教における魂の状態と同じ境地を目指している。そういうニュアンスで「自然宗教」という言葉を使っていたと思います。ラカン精神分析スピリチュアリティを徹底的に切り離して考えていましたが、最近になって両者を近づけて考える人が──多数派ではないにせよ──出てきているようです(pp.15下−16下)。

(十川)……抑圧という概念の治療論的な意義について言えば、今、この概念を正面きって使う分析家は、自我心理学に属する分析家の一部を除いて、ほとんどいません。無意識的なものを上から押さえつけるという、抑圧という概念がもつイメージが臨床感覚にフィットしないということもあるでしょう。さらにクライン派の「投影同一化」という概念が浸透したことも大きい。投影同一化という機制は、フロイトが抑圧という概念で説明したことを十分に覆うだけではなく、この概念のほうが、精神病も含めた広い範囲の精神疾患防衛機制を説明することができます。また、精神医学の領域では、解離というメカニズムが、現代的な主体においては、抑圧よりもよく見られる防衛システムとして捉えられる傾向にあることも、抑圧という概念が背景に退いていった要因となっています(p.17)。

(十川)……結局、フロイトの理論で残っているのは中立性や転移解釈などの技法的なところだけで、フロイトの理論の画期的な更新はメラニー・クライン(一八八ニ―一九六〇年)、ビオンで終っている、というのが現状ではないでしょうか。
 ……ウィニコット(一八九六―一九七一年)の流派に属する、クリストファー・ボラスという人が「フロイト精神分析の敗退」という論文を載せていて、精神分析家を養成する制度──先ほどの言葉を使うなら「教団」──を批判しています。もはや多くの人々は高いお金を払って精神分析家のもとに行く価値はないと考えるようになっている。その最大の原因は、何よりも分析家の養成制度が、フロイトの治療論の本質──彼はそれを患者側の自由連想と分析家側の「平等に漂う注意」の創造的な結合に見ています──を伝えることができなくなっているからだ、と彼は書いています。
 さらにもう一つ……「今、精神分析はどういう状況にあるか」という質問に、ジャン=ベルトラン・ポンタリスが「精神分析は何をやっているかといえば、精神分析家をどんどん作っている。そしてそれしかしていない」……「分析家が分析家を作り、その分析家がまた分析家を作るシステムができあがっていて、分析家の再生産のシステムに変わってしまっている。純粋な患者はいない」ということなのです(p.18)。

精神病理学の消滅と精神分析
(十川)……
 精神病理学は病者の生きていることの全体を考える学です。そこでは、まず患者という存在を把握することが重要であり、治療はそこから導き出される、という発想がある。一方、精神分析は何にもまして治療学です。先に述べたフロイトの疾病分類に関しても、治療的観点に基づいた分類になっています。フロイトは言うまでもなく最初の精神分析家ですが、最初の精神病理学者だった──当時そのような学はまだなかったのですが──と考えることができます。彼の思考法は、精神分析的であると同時に精神病理学的です。むしろ、この二つの学に区別がなかった、と言ったほうが正確ですね。この二つの学は、その後、主として取り上げる対象疾患の違いによって──つまり精神病理学が精神病をフィールドとし、精神分析神経症を治療対象にすることによって──分岐していきます。……(省略)……(p.19)

(十川)……全般的に言えるのは、フロイトの時代と比べて、今は患者がみずからの生を物語る能力がなくなってきている、ということです。このような現象も病理の軽症化と何なかの関係があるのかもしれません。フロイトの患者たちは物語る能力に長けています。そして、その語りが、患者が秘めた病理に向かって収束されていきます。一方で、現代の患者たちは──ヒステリー患者は貴重な例外です──みずからの生を散漫とした形で、明確な歴史もエピソードも作ることなく生きているように思えます。そういう患者たちの語りは、病理の所在がはっきりせず、また語りが病理の核心に向かうことがない。こういう患者側の変化も精神分析の衰退の一つの要因になっているように思えます。つまり、生が希薄化、断片化していて、しかもそれらが言葉によって歴史化されていないため、言葉を治療手段とする分析治療が鋭角的な手ごたえをもったものとして機能しない。……分析家は、患者の側の変化を敏感に感じ取ることなく、いまだに硬直した理論で分析行為を行っています。……(p.22)

II 理論篇
〈情動について〉pp.22下−29下
……
(立木)……ラカンの言う情動とは、身体がシニフィアンの媒介なしに現実界にアフェクトされることです。その状態のパラダイムは「不安」ですが、それ以外の形で情動にアプローチするのはなかなか難しい。……それに対して十川さんの場合は、システムとしての他者のコミュニケーションに触発されるという点が重視されています。十川さんは、子供が両親の会話に耳を傾けていたり、子供が寝ているところで両親がコミュニケーションをしている状況──十川さんは「原風景」と呼んでおられます──に注目なさっていますが、子供はそこまでまさにコミュニケーションにアフェクトされ、触発されている。そこから自己のコミュニケーション回路が徐々に形作られ、情動調律というプロセスを通じて情動的なコミュニケーションが始まっていくわけですね。コミュニケーションとしての情動。そこに焦点があてられています(p.23)。
(原)……ただ、情動のレベルと言語のレベルをきっぱりと分けておられますが、それらは一体となって機能している部分が強いのではないか、という気がしたんです。
 ……
 そのカップリングを、一方の作動が他方の作動を引き起こす形で理解する。そのとき、ラカンであれば、おそらく言語という枠組みの中で情動の問題も考えることができる、と言うのではないかと思います。その二つのレベルを分けることが理論的にどういう含意を持っているのか 、……(p.23下)
(十川)こういう構想のアイデアは具体的な臨床経験から浮かんだものです。例えば、自由連想において、患者の言語の動きと情動の動きには明らかなずれがある。それゆえ、分析家のほうも、言語という水準と情動という水準の二つのレベルで耳を傾けなくてはいけないことが多い。このずれがもっと明らかになるのは解釈の場面です。明らかに正しいと思われる解釈を行っても、患者は知的に理解するだけで、情動的にはほとんど反応しない場合があります。しかし、それが別の場面では、患者がその言葉を情動を巻き込んだ形で理解し、心的変化が起きることがある。これは従来、抵抗や解釈のタイミングの問題として考えられてきた事柄です。……しかし、抵抗や解釈のタイミングといった観点からでは、とても理解できない局面のほうが圧倒的に多い。そこから次第に、言語と情動を分けて理論化したほうが臨床的な現象をより的確に把握できると考えるようになったのです。
 ……(省略)……
(十川)……ここが私の構想の中核になる点だと思うので改めて説明しておくと、乳児が両親のコミュニケーションを傍らで聞いているというのは、自己経験の原型となる一つのモデルなんですね。乳児は両親のコミュニケーションに入っていない。それが次第に情動的な反応を示すようになり、言語的コミュニケーションも行えるようになる。最初はコミュニケーションの「外部」にいた乳児が、いつのまにかコミュニケーションを形成するようになっている。その際、重要なことは、子供は言語という構造化された場所に入るのではなく、コミュニケーションという謎と力に満ちた場所に入るということです。したがって、この場所で生じるさまざまな力は子供に傷を与える。また、コミュニケーションの場に入ることは、ある時から入って、あとはその「内部」にいる、といったものではなく、どのように入ったか分からないし、コミュニケーションを生み出し続けなければ、その「外部」に位置することになってしまいます。また、この原初の疎外経験は子供の空想の形式も決定しています。フロイトの「原風景」、クラインの「結合両親像」といったいくつかの外傷的な空想は、このモデルで説明することができます(pp.23−24)。

(十川)ラカンは、主体と真理の次元を媒介するものとして言語を想定しています。ところが、対象関係論の立場だと、主体は情動を通して人間のより深い現実に到達する、という考えがあります。この観点からすれば、情動が、主体が真理に達するのを防げるということはない。むしろ、情動の関与なしに真理という次元は出てこないわけです。ラカンの「現実界」とビオンの「О」(originの略)はよく比較対照されますが、前者が言語を媒介にして、言語を超えた次元を表しているのに対し、後者は情動と密接な関係をもっています。
 ……(pp.24下−25上)
(十川)私の構想はビオンの理論とは厳密な対応関係はありません。あえて対応させるならば、ベータ・エレメン トは、感覚の回路が病理形成的に作動することによって生じる感覚対象のことです(p.25上)。
 ……
 ……
(立木)ということは、情動はむしろ「アルファ・エレメント」(自我が夢や思考の素材として用いることができる心的要素)の次元から入ってくる、と考えるべきだということですね。方向性をもたず、主体が外に投げ出すことしかできないとき、それを聞き取り、包み込んで、もう少しまとまりのある情動的なもの、アルファ・エレメントに変えて主体に返してやる対象が存在しなくてはならない。この対象の機能をビオンは「アルファ機能」と呼んだわけですが、それによってアルファ・エレメントが夢や思考の材料として使えるようになるわけですね。ゆくゆくは主体自身がこのアルファ機能を内在化しなければならないのですが、これはクラインの言う「抑鬱ポジション」のビオンによる翻訳でしょう(p.25下)。……

思想 2010年 06月号 [雑誌]

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