「志ばらくのそと寝」と海老蔵 ─ 伊藤リオンは福島原発か

20011年3月15日、気谷誠著『鯰絵新考─災害のコスモロジー─』(ふるさと文庫、筑波書林、1984.11.15)読了。

仮名垣魯文による「志ばらくのそと寝」という鯰絵は、市川団十郎鹿島大明神の立ち位置)が鯰坊主を「要石」で取押さえるという構図である。歌舞伎十八番の「暫」は、震災の取り戻すことのできない発生時へ「しばらく!」と物申す。「しばらく!」と声を掛けてなだれ込むのは市川団十郎が扮する豪傑、彼はたちどころに鯰坊主をはじめ悪人郎党を成敗する。これは震災後の、一種の勝利白昼夢なのであろう。市川家のお家芸であるこの演目だが、昨年11月25日、海老蔵が伊藤リオンにボコボコにされたのは縁起が悪かった。穿ってみればリオンは福島原発になぞらえられよう。鯰を押さえきれなかったのはさておき、現状は福島原発の「しばらく!」である。
以下、メモ。

 災害を祝祭と呼ぶことはできないが、祝祭を享受する江戸の人々の感性の中に、災害をもとらえて祝祭の機能を果たさせる、つまり外部からの偶然の力をも柔軟に取り込んで自らの祝祭として利用するしたたかさがある。その意味で江戸の社会は堅苦しい身分制度などにかかわらず閉ざされてはいない。閉塞した社会は、他を拒む自我と同様、自らの沈滞したエントロピーの捌け口を見失うことで自滅するだろう。閉じられた感性にとって、自滅こそが残された最後の祝祭である。(pp.53-54)

最近、『構造と力』をん十年ぶりに手にしたところへ、佐々木敦著『ニッポンの思想』(講談社現代新書、2009年7月)でおさらいまでさせられたところであった。そこにまたこの本で引用されるので、以下、鯰絵のからみの部分を抜粋。

 祝祭的な時空を節目として秩序と混沌とが作り出すコスモロジカルな弁証法が、今日の社会にあっては貨幣を核とした流動的な消費の循環に取ってかわられたことを、浅田彰が『構造と力─記号論を超えて』(勁草書房、一九八三年)に論じている。
 「商品交換による脱コード化が一般的な規模で進行することによって、貨幣を整流器とする膨大な前進的な流れとしての近代社会が成立してしまった以上、その現実を無視した議論はもはや有効性をもちえない。(中略)近代社会はそれ自体カオスの吸収装置とでも呼ぶべき仕組みになっており、その融通無碍な機能ぶりは、侵犯のエネルギーをなしくずしに回収してしまうだろう。カオスの噴出による祝祭的革命というイメージは美しいが、ひとたび脱聖化された社会に祝祭の興奮をよびさますことは絶望的に困難である。」(「 」は筆者)
 人は恒久的な生産向上をめざし、貨幣経済のなかに身を投じることによって、自己を問い続ける手間を解消してしまったのである。これを前近代から近代への移行とみなすならば、鯰絵は前近代の末期に咲いた珍妙な祝祭の徒花と言うことができる。実際鯰絵の象徴秩序が、貨幣を中心とした経済観念に侵蝕されはじめていることは、鯰絵自身に読みとることができる。
 例えば鯰絵では鹿島大明神や鯰が格別の神威や破壊力を示すことなく、庶民と同列に描かれることがある。鯰絵は一方で鹿島大明神と鯰が両者の持つ象徴的な意味に立脚して秩序と混沌から成る世界構造を示すのに対し、他方ではこの両者が庶民生活にとり込まれた図柄によって、一見風俗画の様相を呈しているのである。鯰絵に限ってこれを見れば、北原糸子は『安政地震と民衆─地震の社会史』で、前者を「神性を認められる鯰」、後者を「人間に対立するものではない」「庶民そのもの」の鯰とし、その形態からそれぞれ「大鯰と小鯰」と呼んで分類している。
 鯰が庶民に同席する図柄は先にいくつか示したが、図21の「生捕ました三度の大地震」では、鯰を捕らえた鹿島大明神に、職人たちが親しげに話しかけている。(以下、略)(pp.79-80)


20011年3月16日〜21日、宮田登/高田衛監修『鯰絵─震災と日本文化』(里文出版、平成7年9月25日)、コルネリウス・アウエハント著『鯰絵─民俗的想像力の世界(普及版)』(せりか書房、1986年6月15日)再読。

鯰絵新考―災害のコスモロジー (1984年) (ふるさと文庫)

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構造と力―記号論を超えて

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ニッポンの思想 (講談社現代新書)

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安政大地震と民衆―地震の社会史 (1983年)

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鯰絵―震災と日本文化

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鯰絵(普及版)―民俗的想像力の世界

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